担降りをした話②
毎日神山くんを見てた頃は、細かい変化を逃さないように、必死だった。
少し離れてみると、逆に見えるものもあるな。
舞台を終えて一段と垢抜けたね。
「可愛い」なんて言えなくなってしまう。
こちらの記事は前回のつづきになります。
「あっさり担降りしたね」
と周りに言われるけど、本当はそうではない。
私は基本的に自分のことは自分で決めたいタイプなので、1人で悩む。
それなりに葛藤があったのだ。
4年好きだった人から担降りとなると、それなりに勇気がいる。
「たかだか4年」と言われるかもしれないが、「全力投球の4年」なのだ。
私にしか分からない重さがここにはある。
今まで集めたグッズ、CD、DVD、撮りためた番組。
・・・費やしたお金は基本的にどーでもいい。
娯楽費なんて消えていくものだから。
1番は「友達」だった。
本当にそれが1番怖かった。
自分の中ではっきりと○君が勝っていて、○君にしか興味が無くなったのは自分のことだからよくわかっている。
しかし、それを言い出せる友達とそうでない友達がいた。
特に同担の友達にはとても言いにくかった。
2018年の夏。
神山くんはお仕事が沢山あった。
・単発ドラマ
・舞台(の稽古)
私は盛り上がる同担のテンションについていけなかったのだ。
正直○くんのことで頭がいっぱいで、神山くんの話がどーでもいいことに聞こえてしまって、ほっといてほしかった。
話をとりあえず合わせるのも申し訳なかったし、これからこの人たちとジャニーズWESTのことを同じ熱量で話せなくなるんだと思うと寂しくなった。
それと神山くんの様子のこともしかり。
舞台の宣伝でヒルナンデスに出演していた。
「あ、神山くんなんか違う」
ものすごい違和感を感じたのだ。
すごく大変な思いをしている。
そんなの明らかだった。
それでも私は神山くんのことを心配する気持ちにはなれなくて、それに気づかないで「可愛い可愛い」と言うだけの同担にイライラもしたし、でも私は何も言えなかった。
もう私の中では「担当」ではなかったのだと思う。
「担当」っていうのは、何があっても最終的には味方でいたい存在で、何かあったらフォローしたい存在である。
なんでも肯定するわけではない。
でも、分かってあげたい。
寄り添ってあげたい。
でも、4年間全力で見てきたのだから、そりゃあいつもと違うなって言うのはわかるんだ。
でも何も出来ない。
この舞台が終わったら、私は神山担ではなくなるんだろうな。
この時もう分かっていた。
余計なことを言える立場ではないのだ。
舞台初日も楽もすごい良い席だった。
もうこんな良席で観れることなんてないだろうという程だ。
そして、その舞台は絶賛され、神山くんの素晴らしさを広めるものだった。
担当ならば本当に誇らしく喜ばしい舞台となった。
それでもやはり気持ちは戻らなかった。
すごいなぁ、頑張ってる・・・と思う。
思うんだけど、やっぱり違った。
かっこいいし誇らしい。
この人は本当にすごい。
そう思うんだけど、どこか他人事でそこに私はいなかった。
○君がずっと心の中にいた。
千秋楽後、彼はいかにこの舞台が大変だったかwebで教えてくれた。
もう冷めてたからだろうな・・・
いつもだったら感動してたのかな・・・
そこにファンへの感謝の言葉がなかったことにガッカリした。
勢いで書いたのもらしいから、彼の本音だろう。
「会場に足を運んでくださった皆様」
として語りかけてくれたけど、感謝とは違った。
そして、これが本音なんだ・・・と思ってしまった。
揚げ足とるみたいでごめんね。
でも、それが私の最後の背中を押してくれたんだ。
「去るものは追わない」
彼が言ってた。
私は追われない。追うだけで追われないんだから・・・
なんか虚しかった。
過去に「愛とは」という質問に「怖いもの」と答えていたことがある。
神山くんにとってファンって怖いものなのかなって思う時があったんだ。
この舞台の最後を見届けたら、私は全力で○君を推して、担当だと言いたかった。
「掛け持ち」という選択が最初はあったんだ。
でも、私は重いヲタクだからそれが出来なかった。
神山くんが大好き過ぎたからこそ一番好きじゃないのに「担当」とは言えなかった。
全力で「担当」をしてたからこそ、もう「担当」を名乗れなかった。
大好きなのは変わらない。
でも、担当は名乗れない。
一番じゃないから。
それが私の担降りです。